Scala関西Summit 2015 でスタッフをやっていた。
おかげさまで大盛況で、とてもよいイベントだった。 せっかくこういう大きなイベントの最初期からスタッフとして関われたので、経緯などを書いておこうと思う。
何をやったの?
勉強会当日はメインホールの司会とパネルトークの登壇など。 準備段階ではなんかいろいろやってた。
経緯
去年のScalaMatsuri2014の会場で、今回のSummitの実行委員長となる@aa7thさんと「関西でも大きなScalaイベントやりたいね」という話などをしていた。
その後、Facebookメッセンジャーの記録によると、2014年の10月23日に@aa7thさんから「そろそろ準備を始めましょう」と何人かのメンバーに呼びかけがあり、そのときに声をかけてもらう。ここから考えると9ヶ月かかったことになるのか。。。。。ちなみに今の会社に入る1週間前のタイミングだった。
メンバー間のコミュニケーションにTypetalk、タスク管理にBacklogを使いましょう、という感じになり、本格的に準備が始まった。
スポンサー募集について
関西ではこれまで、@aa7thさんの主催で"Scala関西勉強会(前身はScala関西ビギナーズ)"が継続的に実施されていて、基本はこの延長線上のイベントとして進めるわけだが、大規模イベントを計画するには手弁当ではムリだろうということで、はやくからスポンサーを募る、という方針が決まる。
なにもかも手探りだったが、中の人と個人的につながりもあったりする関係で、nulabさんにスポンサーの相談を持ちかけたところ、快く了承くださり、Backlogの有料プランなどを提供していただけることに。
当初はスタッフの個人的なつてを頼って各企業に相談を持ちかけつつスポンサーを集めていたが、開催時期が近づくにつれてサイトからの申し込みも増え、当初の予定を上回る数の企業から支援をいただけることになった。
Goldスポンサーの特典で、セッション枠があったため、数に限りがあったが、枠が埋まったあともGoldスポンサーとして支援したい、と申し出てくださる企業さんもいらしたので、スポンサー特典で数に上限が生じる形式は無い方がよいかもしれない、と感じた。
ただ、当初の思惑としては、スピーカー申し込みがどれくらいあるかわからなかったので、スピーカーを確保するためにもスポンサーさんからセッションの提供を受けたいというのがあった。
会場について
人数規模的にとりあえず200名を上限で会場の候補を選定。PHPカンファレンスで利用実績のある大阪産業創造館など、複数の候補の中から、中央公会堂に決定。重要文化財指定建築で開催ということでテンションが高まる。
わりと満場一致で決まったという記憶がある。
コミュニティ間の連携について
当初のスタッフの中には、当然今回の規模のカンファレンスの開催実績はない。とはいえ、エンジニアの横のつながりによって開催実績のあるコミュニティから知見の共有を受けることはできる。
PHPカンファレンス関西のスタッフから特に様々な知見の共有を受け、多方面で協力いただいた。
ScalaMatsuriの運営母体であるJapan Scala Associationとも連携しつつ、たとえばイベントロゴのデザインにあたってScalaのロゴの利用についてTypesafe社のデザイナさんを紹介いただき、ロゴ作成のアドバイスを受けることなどもできた。
委員長の@aa7thさんは、PHPカンファレンスに武者修行としてスタッフ参加などされたりもしていた。
準備委員会について
スタッフミーティングは、だいたい月1回のペースで実施。平日の夜に、スタッフさんの会社の会議室を借りたり、遠方の人はSkypeで参加しつつ議論を進めた。定期的なMTG以外には、TypetalkやBacklogのタスク上で随時議論を進めた。
日程について
今回、大阪のホテルが壊滅していた。ジャニーズのライブと、福山雅治のライブ。あとPL花火大会など重なって最悪の状況。 PL花火大会は把握していたけど、開催場所が少し離れているので大丈夫だろうと判断していたが、ジャニーズと福山雅治だけは完全に想定外だった。。。
スピーカーについて
一般公募の他に、招待枠として何名かにお声掛けさせていただいた。こちらも一般公募でスピーカーがどれだけ集まるか未知数だったための措置。自分たちが「この人の話を聴きたい!」と思った人を招くことができたが、当のスタッフは当日の仕事にかかりっきりで案外ちゃんとトークを聴けないという悩みがあるのであった。。。
感想
今回のイベントは、@aa7thさんに最終的なイベントの完成形の強いイメージがあって、そのおかげで成功できたのだと思う。関西での大規模のイベントとして、PHPカンファレンス関西というお手本があって、あのイベントでやっているようなオペレーションをやればよさそうだ、というイメージが最初期からあった。
スタッフ同士での議論でも委員長として適切な決断を下してくれ、あまり大きく舵がぶれる、というようなことがなかった。その分、負荷も尋常ではなかったと思う。
ともあれ、スタッフの皆さんお疲れ様でした。スポンサー、スピーカー、参加者の皆さん、ご協力本当にありがとうございました。