あらたま・いくおのマネジメントRadioの最新回(本稿執筆時点)が「マネージャーの横のつながり」だった。
あらたまさんや、いくおさんと一緒に仕事をしたことはないが、なぜか出てくるエピソードすべてに身に覚えがある。 社内のつながりを深めたいな、とマネージャー同士が集まるお茶会をやってみたけど、思ったより盛り上がらないとか……。
マネージャーは扱う仕事の性質上、どうしても孤独になる。たとえば5人のチームのマネージャーをやっていれば、同じチームの5人は仲間であるが、とはいえその人たちの人事評価に関することは自分の胸の内にしまっておくしかない。人事評価に関することは、同列のマネージャーが相談相手になるが、その人たちと担当プロダクトについて、チームメンバーと同等の熱量で議論するのは難しい。つまり、自分が所属するどの場に対しても、緊密に相談できることと、できないことがあり、常に「部分的に孤独」という状態になる。
とはいえ、特定のチームのマネージャーであったころは、チームが自分の居場所である、という感覚があった。チームメンバーは自分にとって仲間であり、相談相手でもあった。
これが、現在自分が担当しているような、100人を管掌する横断的なマネージャーとなると感覚が大きく変わる。自分が所属する「チーム」のような身近な枠組みがないため、今まで持てていた「自分の居場所」が無くなって、孤独感がさらに増すのである。
他の人たちは、毎朝チームメンバーと朝会をやっている。自分にはそのような枠組みがないので、独りで1日の仕事がはじまっていく。このような寂寥感は今までに無い経験で、最初はけっこう戸惑った。
前述した「部分的に孤独」な状態は、突き詰めれば社会生活の至る所にある。チームメンバーと家族、友人など所属するコミュニティに応じて共有できることとできないことがあるのが普通だからだ。しかし、レイヤーの高いマネージャーの孤独は、その孤独の範囲がそれらよりも広く感じる。
しかし、このポジションで仕事をして数ヶ月も経ってくると、「自分の居場所」というものの解釈の違いにすぎないことがわかってくる。
これまでは、「5人のチーム」とか「30人の部署」などある程度イメージしやすい範囲が自分の居場所だった。これが「100人の横断組織」とか「数百人の会社」と範囲が拡大したことで、これまであった身近さがなんとなく失われて居場所を喪失したような感覚になっていたが、そうではなくて「100人の組織」が自分の居場所なのだ。
そうなってくると、横断組織の中で中間層にいる人たち、会社の中で同列の人たちなど、これまでの「チームメンバー」の感覚からすると少し距離は遠くなるが、比較的よくコミュニケーションを取るすべての人たちが仲間なのだという当たり前のことに気づく。もちろん、それぞれ人によって相談できる内容は異なるわけだが、「部分的に孤独」な状態はいつものことであるので、さほど気にすることではない。
そうして、この記事のタイトルでもある「マネージャーはたしかに孤独だが仲間も大勢いる」という認識にいたり、気が楽になるのであった。